今注目の観光地ベトナムの歴史どこまで知っていますか!?最終回②

こんにちはハノイのダンサーNEMOTOです!

ベトナムの歴史解説も今日で本当に最終回!!なはず!ww
少しでもベトナムという国に興味を持ってくれたら嬉しいです!
これまでの話はこちらから🔻
今注目の観光地ベトナムの歴史どこまで知っていますか!?
今注目の観光地ベトナムの歴史どこまで知っていますか!?②
今注目の観光地ベトナムの歴史どこまで知っていますか!?最終回①

さて前回では第二次世界大戦が勃発したことによってベトナムの支配者はフランスから日本に交代。ホーチミンさんはベトナム独立の為にインドシナ共産党を作り、ベトナム独立の為に活動中!そしてベトナムにとって大波乱の40年が始まります!それでは最終回②行ってみましょう!!

 

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1940年にベトナムを支配していた日本。その一方でホーさんは1941年に「ベトナム独立同盟会(通称ベトミン)」を結成します。

ベトミンの軍は当初、敗戦のゴタゴタで放置してた旧日本軍の武器を使用してた。こちらは三八式歩兵銃(有坂銃)

日本軍の最高傑作の銃といえば三八式歩兵銃(有坂銃)とこの九九式軽機関銃ですよね(*´꒳`*)

1945年に日本が敗戦すると8月16日にベトナム全土に向けて武装蜂起を呼びかけ、翌9月2日にベトナムの独立を宣言!
やった!!これでベトナムも独立だ!めでたしめでたし、、、
では終わらないのです!!

ベトナムの独立をよく思わない人がいます。それはフランスです

ワタシモウイッカイベトナムショクミンチシマス。サカラッタラコロシマース。

さあここでインドシナ戦争の幕開け!!
しかし相手は勢いを失ったとはいえ大国フランス、正面からの戦いじゃ勝てない、、、

「そうだ、ゲリラ戦しよっ」

ハノイ・ハイフォン・ホーチミンの都市部を占領するフランス軍に対して農村部ではゲリラ戦を展開!
◉ゲリラ戦を知らない方のために!
ゲリラ戦とは、、、「予め攻撃する敵を定めず、戦線外において小規模な部隊を運用して、臨機応変に奇襲、待ち伏せ、後方支援の破壊といった、攪乱や攻撃を行う戦法、またはその戦法が用いられた戦闘を指す。」

だそうです。by wikipedia   (wwww)

コンナボロボロノヤツラニマケルワケアリマセーン。ハヤクオワラセテフランスパンタベルデース。

当初は1年で終わると見られていた戦争、、、最終的に8年続きました。

そして、1953年に決定的な戦い、、、「ディエンビエンフーの戦い」

ベトナムとラオスの国境近くにあるこの小さな街をめぐる戦いは現ディエンビエンフー空港を中心に行われました。

結果はベトナム軍の勝利!!

フランスざまあwwww

その後の1954年のジュネーブ協定によってフランス軍はベトナムから撤退!やっと悲願であった独立ができました!めでたしめでたし、、、では終わらないんですよ!!ww

まだあるんかーい!!
このジュネーブ協定、確かにフランス軍はベトナムから撤退しました。しかし北緯17度より上の地域のみだけだお☆なんとベトナムはソビエト連邦中国が支援する北部のベトナム民主共和国フランスイギリスアメリカが支援する南のベトナム共和国に分断されちゃいました。

これでベトナムは東西冷戦の代理戦争となる土俵が出来上がってしまいました。

うううおおおおおおおいいいい!!!!ふざけんじゃねええええ!!
そりゃ当然ベトナムは怒りますよね。。だがしかし独立と引き換えの条件、ここは一度妥協しとくしかありません。。

とりあえず一応次の戦いの為の準備をしなくてはとホーさん率いる北のベトナム民主共和国は準備をします。

ちなみにベトナムの歴史この間の10年間をすっ飛ばす人が多いので、この当時の北ベトナムの状況はどうだったかというと、、、結構いい感じでした!!

北ベトナムが行った土地改革は急進的だったのでちょっと反乱がありましたが、それはちゃっちゃとボコボコにして沈めたので万事上手く行きました(*´꒳`*)(←怖い)
おかげで生産率は50%以上もアップ!!1955年~1957年はベトナム農業にとって黄金期と言える状況でした!
ここでできた農作物は主に中国やソ連に輸出し、その外貨で武器を購入、軍隊の整備に充てました。

 

一方南のベトナム共和国はどうかというと、、、
かなり悲惨でした、、、

経済は経済大国であるアメリカやイギリス、そして日本などの支援があった為、輸入貿易に偏っていたものの、北ベトナムよりもはるかにいい水準でした。
しかし問題なのは反政府ゲリラ活動とクーデター、そして多国籍軍による暴力。

南ベトナム初代大統領 ゴ・ディエン・ジェム

ジェム大統領の仏教徒弾圧に対する抗議で焼身自殺する僧侶

ベトコンだと容疑をかけられ路上で公開処刑される南ベトナムの市民

南ベトナムでは1959年頃から反政府ゲリラ活動が活発し、1960年に南ベトナムに残ったベトミン兵士や指導者を中心に「南ベトナム解放民族戦線(通称ベトコン)」を組織!南ベトナム各地でゲリラ戦を展開しました!

北ベトナムの正規軍とは異なり、黒っぽい服を着てますね。これは農民の服で農民かゲリラを見分けられないようにする為です。

南ベトナムがごちゃごちゃしている時に北ベトナムは着実に力をつけていきました(もう南ベトナムさんフラグが立ちまくってますね)

そしてついに1965年にベトナム戦争が勃発!!

ベトナム戦争を忠実に描いた映画「We Were Soldiers」従来のアメリカ側だけの視点ではなく、兵士の家族や、ベトナム側からの視点を描いてるベトナム戦争映画の名作。

 

結果は。。。
北ベトナム、ベトナム民主共和国の勝利!!

これによりフランス植民地時代から続いた約1世紀におよぶ戦いに幕が降りました。。。
その後のベトナムはソ連や中国とも関係を断ち切り、(中越戦争、ソ連の崩壊など、、、)1990年代に真の意味で他国の干渉を排除した独立国になりました。

ここまでの苦難の歴史は相当なものでした。
ここまで多くの犠牲を払い、ベトナムは独立を勝ち得ました。ベトナム戦争だけでも犠牲者の数は相当なものでしょう。一説によるとベトナム戦争の犠牲者は戦死・行方不明者が南北ベトナム合わせて800万人以上。当時の人口が4300万人。約5人に1人が亡くなりました。特にベトナム中部は激しく、村や町の住人が丸ごと殺されてしまう、なんてことは珍しくもない状態でした。

戦争の犠牲者だけでそれが不幸かどうかは自分には決められません。しかしこの100年の経験があったからこそ今のベトナムがあると思います!

 

以上がベトナムの歴史でした!!え??80年代から2000年代もやれって??もうNEMOTOは疲れました!ww
できれば個人的にはフランス植民地時代と日本植民地時代の比較とインドシナ戦争、ベトナム戦争時のハノイの生活、文化について、北ベトナムの軍組織についていつか勉強したいなと思います。。。

長くなってしまいましたが以上で終わり!次回もお楽しみに!

 

 

 

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