どーもこんにちは!ハノイのダンサー、そして最近ベトナムの歴史書籍を買い漁りまくっているNEMOTOです!
さて今回はかなり前にベトナムの歴史について紹介した回がありました!
前回はベトナムの民族について解説しました。
今日は大波乱に満ちた19世期のベトナムを解説していきましょう!!
まず19世期のベトナムを語る上で大事なキーワードがこちら!
阮朝・フランス
まずは阮朝から説明しましょう!
18世紀のベトナムは2つの勢力に分かれていました。
北部の鄭氏(ていし)一族
南部の阮氏(げんし)一族(広南阮氏)
1771年にそんな阮氏の領地内で反乱が起きました!!
それを好機と見た北部の鄭氏が南部に攻め入りました。
反乱軍と鄭氏の挟み撃ち状態で為す術なく首都のザーディン(今のホーチミンあたり)が陥落。滅亡してしまいました。。そしてベトナム国内は反乱軍と鄭氏、そのほかの人たちも加わった泥沼の戦争で国内はめちゃくちゃになります。アイヤー!!
そんな中、戦争を逃れた阮氏の生き残りであった阮福暎(グエン・フック・アイン)がフランスの力を借りてリベンジマッチ!!なんとそのまま大逆転の大勝利!!
そうして1802年に阮朝のスタートを切ることになりました!!めでたしめでたし、、、では終わりません!!
さて次に出てくるキーワードがフランス!!
やっとベトナムを安定させた阮朝でしたがここでちょっとハプニング!
阮朝は建国後、こう思います。
「お隣の清朝(中国)に負けないくらい、我がベトナムもそれに倣って皇帝を名乗り、この皇帝がベトナムを支配するために権力を集中させるぞー!!」
結果、、、
反乱が起きましたww
しかも同時にお隣の国・シャム(今のタイ王国)が攻めてきてまたまた戦争状態に突入!!前の戦いで疲れていたのにこれではさらに疲れてしまいました。
さらにさらにそこに出てきたのはフランス!!
フランスは当時の大帝国として繁栄していたイギリスと肩を並べる超大国!!
なんでフランスが来たの?思い出してください、阮朝の支援をしていた国を、、、そうフランスでした!!
1830年代から何かとイチャモンをつけられ1847年のダナンの戦いに始まり、徐々に侵食されて、最終的に1887年に現在のカンボジア、ラオスを合わせてインドシナ連邦が成立。阮朝は事実上フランスの植民地になってしまいした。
ベトナムではハロンの石炭。紅河、メコンデルタの稲作経営を中心にベトナム人を奴隷のようにこき使う一方で、ベトナムの富裕層や知識階層に西洋式の教育や思想、文化を押し付けるなどして徹底的に搾取しようとしました。
しかし逆にこれはベトナム国内の産業を形づくり、西洋式の教育は20世紀の民族運動に繋がっていきます。それはまた次に解説しますね!
【ちなみにフランス植民地時代にはベトナムでは様々なものが生まれたのを知っていますか??】
①文字表記がアルファベットに変わる。
元々漢字由来のチュノム文字を使っていたのだけど、かなり難解で、しかもめんどくさい。
そのため比較的使いやすいアルファベット表記に切り替えたらしい。
②ハノイの観光名所「ホアロー収容所」
元々フランス植民地時代のハノイにいる反乱分子や民族運動家、犯罪者を収監するために作られた建物。
③「コロニアル建築」の輸入
イギリス・フランス・オランダなどに支配されていた地域の特徴的な建築様式。ベトナムの観光地にありヨーロッパぽい建物はほとんどこれ。
ヨーロッパの超大国に支配されたベトナム!やっとの思いでベトナムを作ったのにあんまりだ!
だけど象とアリほどのレベルがあるフランスに勝てるわけがない、、、どうすればいいんだ!!
がんばれベトナム!負けるなベトナム!!次回はそんなベトナムに救世主!?そしてベトナム史上最大の悲劇と試練が訪れる運命の20世紀!!
次回もお楽しみに!
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