こんにちは!
ベトナム・ハノイに来て早4年目!! 日本人、ベトナム人など多くの子供達の為のダンススクールA-LIFE Dance Schoolを運営する傍ら、ハノイでイベント主催したり、新規事業始めたり、たまにハノイの生活情報を呟いたりする、自称アニメオタク&歴史オタクのダンサーNEMOTOです!
皆さん、唐突に質問ですが、「植民地」と聞いてどんな想像をしますか??
・欧米が原住民を追い出して勝手に征服した土地
・アフリカの黒人が奴隷となって働かされていた。
などなど、、、
近現代の歴史において「植民地」というワードはかなりマイナスなイメージを持っている感じはありますね。
しかし!!歴史という大きな視点で見ると「植民地」というのは
「自国の文化をいろんな場所に広めた」という見方もできるわけです!
そしてこれは近現代のヨーロッパ列強国による植民地にも同じことが言えるでしょう。
南米や南アジア、オセアニア地域、アフリカなどではいまだに欧米式の建築物、そして欧米の言語、その地域に溶け込んだ文化などなど、、、。歴史という大きな流れの中では植民地は「ヨーロッパの文化を広めた」「グローバリズムの先駆け」(いろんな視点で見れますが、今回は割愛します)といった影響を世界に与えたと思います!!
そしてここからが本題、「文化を広めた」という点で大きな役割を担ったのが「コーヒー」なんです!!
他にも「香辛料」「砂糖」「茶」「綿花」「銀」「ゴム」「石油」などと、中心的な役割を果たした産業はいくつかありますが今回は「コーヒー」だけに絞ります。
コーヒーの歴史
コーヒーの歴史は今から1000年以上前に遡ります。
原産はアフリカのエチオピアあたり。
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伝説では羊飼いの少年がヤギがコーヒー豆を食べたら大興奮したのを見て、食べてみたらすごい興奮してしまって、宗教の儀式は眠くなるよね。ってことで修道僧にあげたら大好評になった。説
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あるイスラム教徒がコーヒー豆を食べてみたら活力が湧くのを感じたらしく、病気の人にあげたら全員病気治ったらしい。という説。
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どっちが本当かはわからないけど、コーヒー豆を食べると覚醒作用があるといことは昔からわかっていたらしいです。
当初、イスラム教徒の間でしかコーヒー豆は流通していませんでしたが、16世紀頃にヨーロッパでも知られるようになったとか。しかし最初は「悪魔(イスラム教徒のこと)が食べる邪悪な食べ物」と言われていたらしく、嗜好品としての価値は全くありませんでした、、、ww
時のローマ教皇が「いや!これはめちゃくちゃ美味い!洗礼を施して神の食べ物にし奉る!」って言ったあたりからヨーロッパで広く飲まれるようになったらしいです。
17世紀の後半、ヨーロッパ絶対王政の時代、フランスではルイ14世がきっかけでフランスの上流階級達がこぞってコーヒーを飲み始めたことで、18世紀にはフランス内で広く流通します。
もうこの頃になると、アムステルダム(オランダ)、ロンドン(イギリス)、ウィーン(オーストリア)、パリ(フランス)などの大都市ではコーヒーは普通の飲み物として認知されていたそうです。
そして時は流れ18世紀、19世紀の帝国主義!
オランダ、ポルトガル、スペイン、フランス、イギリスは世界各地に植民地を作ってはコーヒー農園を作らせます!
1658年 セイロン島
1699年 ジャワ島
1723年 西インド諸島
1727年 ブラジル
、、、etc
コーヒーによって莫大な利益をあげたのがイギリス、オランダ、ポルトガルでした
植民地政策に少し出遅れた18世紀のフランス。そんな時に目をつけたのが「インドシナ地域(ベトナム)」でした!!
インドシナ植民地経営とコーヒー農園
1839年のアヘン戦争、1856年のアロー戦争を勝利したフランスは清(中国)に対して有利な状況になっていた!
1887年にはインドシナ地域を全て「インドシナ連邦」として実質フランスの植民地として成立させました。
ベトナムを支配したフランスの植民地経営、その主な産業は「コメ」「ゴム」そして「コーヒー」でした。ベトナム中部を中心にコーヒー農園の開発を進めてたようです。
フランスによるインドシナ植民地経営はかなり調子がよく、「コメ」に関してはフランスのコメ輸入の6~8割をインドシナ連邦に依存していたぐらいだそうです。
ちなみにコーヒーに関しては20世紀初頭は「世界のコーヒー消費量の76%をブラジルが賄っていた!」というくらいブラジル一強の時代があったせいか、ベトナムのコーヒーはそこまで注目されていませんでしたww
だけど、現在ではベトナムはかなりの数のコーヒーショップが軒を連ねていますよね?それはただ単にコーヒーをたくさん作っているからという理由ではなさそうなんです。
話は変わって植民地の経営戦略にはいくつかの方針があるのを知っていますか??
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1, 同化政策
→その土地の人種と交配してその子孫を広げて原住民を排除する方法
主に中国の「漢民族」はそうやって人口を増やしました。
2, 弾圧政策
→基本的に現地人を人として見ない。絶滅させることを目的に奴隷として働かせる。
代表例がスペインのインカ、アステカに対する植民地経営。アメリカのインディアン討伐などでしょう。
3, 同調政策
→協力的な現地人に特権を与えて、間接的に支配させる。
イギリスはインド帝国や中東地域によくやった手法。日本も昔やろうとしたけど失敗してましたねww
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フランスは3, 同調政策を基本的に選ぶ感じでした。
なのでベトナムの地ではフランスに協力的な貴族や官僚を優遇して特権を与えることでその人たちが代わりにベトナムの民衆を支配していました。もちろんそのような人たちはフランス人との付き合い上、コーヒーを嗜むのは当たり前だし、だんだんと好きになっていきますね。
そういうのもあってかコーヒーを飲む習慣はベトナムの上流階級に始まり、徐々に庶民にも広まったとされます。
ベトナムコーヒーの現在
時は流れ1980年代、コーヒーがベトナムに広まった頃、1986年のドイモイ政策によって一般企業がコーヒー産業に新規参入できるようになりました!そのおかげもあってか2001年には世界第2位の生産量を誇るようになったんだとか!
しかしそんなベトナムでも色々と課題はあるんだそうです。
自分はコーヒーを飲まないので(飲むと気持ち悪くなるので、、、)あまりわからないのですが、コーヒーにはアラビカ種とロブスタ種があるんですよね?
なんでもベトナムで生産するコーヒーの9割が価格の安いロブスタ種なんです。しかもベトナム国内で加工、販売されるのではなくコーヒー豆(生豆)をそのまま他国に輸出しているので利益が出にくい構造になってしまっているんだとか。
ちなみに天然資源がたくさんある国で、有り余る天然資源があるにも関わらず経済難に陥りやすくなる現象を「オランダ病」って言うらしいですよ。(気になる人はググってね!)
まあ、とりあえず「たくさんコーヒーを作ってるのはけど、ベトナム国内のコーヒー生産者に利益が回ってこない」というのが現状らしいです。
まあこれを知ったところでどうなる!?と言われても「ヘ〜そうなんだー。。。」くらいでしか思わないですが、こういった歴史や現状を知っておくと、何かの役に立つかもしれませんよww
この状況のままベトナム政府が放置した場合、GDP成長率が低下するであろう10年後くらい、、元々利益率が低いベトナムコーヒー産業がピンチになって、ベトナムのコーヒー価格の高騰があがる & コーヒー農家の廃業。。。そして政府は代わりに「医療大麻」の栽培を推進して、ベトナム民衆から大クレーム!そして国内を二分する社会論争が巻き起こる!(妄想ですww)
今回はここまで!
意外と書いていて面白い内容でした!いろんな論文を見てみるとベトナムコーヒーについて知らないことがたくさん出てくる!すごく良い時間でした。
ベトナムコーヒーは確かに最初は植民地経営という暗い歴史の産業であったのは覆すことのできない事実です。
しかしそのおかげでベトナムにコーヒー文化が根付いているのも事実。
良いか悪いか?白か黒か?では判断できませんね!
こういった身近にある飲食物の歴史は面白いので暇がある時はベトナムにおける「砂糖」「塩」の歴史も頑張って勉強してみたいと思います!
それではまたお楽しみにー!!
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