こんにちは!
ベトナム・ハノイに来て早3年弱!! 日本人、ベトナム人など多くの子供達の為のダンススクールA-LIFE Dance Schoolを運営する傍ら、ハノイでイベント主催したり、新規事業始めたり、たまにハノイの生活情報を呟いたりする、自称アニメオタク&歴史オタクのダンサーNEMOTOです!
ベトナムにいながらベトナム戦争のことを知らない!?それはけしからん!ロメロスペシャルをお見舞いする代わりにこのブログでも読なさーーーい!ということで始まった「子供でもわかるベトナム戦争」
以前のブログはこちら!!
世界を変えたベトナム戦争の衝撃!!
ベトナム戦争前夜:第一次インドシナ戦争①
ベトナム戦争前夜:第一次インドシナ戦争②
ベトナム戦争前夜:第一次インドシナ戦争③
ベトナム戦争前夜:第一次インドシナ戦争④
ベトナム戦争前夜:ベトナム民主共和国①
ベトナム戦争前夜:ベトナム民主共和国②
ベトナム戦争前夜:ベトコンの結成
ベトナム戦争前夜:ベトナム共和国(南ベトナム)①
ベトナム戦争前夜:ベトナム共和国(南ベトナム)②
ベトナム戦争前夜:南ベトナムのアメリカ軍
ベトナム戦争の開戦!!
ベトナム戦争の開戦:1965 ~ 1968年
ベトナム戦争の開戦:最初で最後の自由に報道された戦争と反戦運動
前回のあらすじ!!
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ベトナム戦争の開戦!南ベトナムを中心に各地で戦い続ける!しかし戦ってもどんどんアメリカ軍やその手下の兵士は増えていく一方、、、1968年のテト攻勢で流れは変わった!ベトナム戦争の正義を信じて疑わなかった多くの人々がテレビやメディアを通じてベトナムの非人道的な行いがバレてしまった!世界中でベトナム反戦運動が巻き起こる!
思いもよらない所でチャンスが舞い込んできた北ベトナム!しかしそんな中、1969年に志半ばでホーおじさん逝く。。。
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1969年9月 ホーおじさん 心臓発作でこの世を去ってしまいました。79歳でした。
志半ばで死んでしまったホーおじさんのためにベトナム戦争は必ず勝つ!!北ベトナムの全員が再確認し、心を一つにしました。
さてそんなホーおじさんが死ぬ間際まで気にしていたことがありました。中国とソヴィエトとの関係性です。
ベトナム戦争を開戦したきっかけも中国とソヴィエトが動いてくれず、焦らされるのを我慢できずに始めました!しかし戦争中も両者ともにベトナムを支援してくれていました。ホーおじさんはそんな両国に恩義を感じていました。
しかし当の両国は以前にも説明した通り、1956年のフルシチョフによる「スターリン批判」で仲が悪くなってしまいました。
なんと1969年には中国とソヴィエトの国境で紛争が発生します。
さてここで虎視淡々とみていたのは、、、そう、アメリカでした!
1970年代に入ると孤立するのを恐れたソヴィエトがアメリカにすり寄ってきました。
いわゆる緊張緩和(デタント)の時代になりました。
そんな時に世界中に衝撃を走らせるニュースが出ます!
1972年 ニクソン大統領、中国を訪問
公式に「僕たち仲良くしまーす!!」をほぼ宣言したようなもの!!
これには北ベトナムの人々は大激怒!!
これをきっかけにベトナムと中国の関係はかなり悪くなってしまい、北ベトナムの人々も中国を諦めて、ソヴィエトと関係を深めていくようになりました。そのおかげもあり、1970年代に入ってからソヴィエトの最新兵器(戦闘機や戦車、銃)が大量にベトナムに流れてくるようになりました。
1970年代になってから徐々に北ベトナムを取り巻く状況が少しづつ悪くなってきました。
アメリカと中国の接近、ソヴィエトもアメリカとは仲良くしたいから大きく行動はできない、、、しかも日に日に南ベトナムでのベトコン狩や戦闘も激しくなってくる、、、これをずっとやっていたらジリ貧になってしまうぞ、、、
そしてここで北ベトナムにとって悪い知らせが届きます。
1970年 カンボジア:ロン・ノル将軍のクーデター
次回は「カンボジアとラオスのホーチミンルートを死守せよ」
お楽しみに!!
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