子供にもわかる音楽とダンスの歴史!ジャズ音楽とヒップホップ①〜アメリカの植民地と黒人奴隷〜

こんにちは!
ベトナム・ハノイに来て早3年弱!! 日本人、ベトナム人など多くの子供達の為のダンススクールA-LIFE Dance Schoolを運営する傍ら、ハノイでイベント主催したり、新規事業始めたり、たまにハノイの生活情報を呟いたりする、自称アニメオタク&歴史オタクのダンサーNEMOTOです!

人も物も文化も考え方も全部歴史があるもの。考えたことないですか?このダンスは元はどんなのだろう?流行りの音楽は元々なんだったんだろう?今世界中のテレビやラジオ、はたまたSNSで見かける最先端のダンスや音楽、その起源は遡ると約120年前。
今回は現在の音楽とダンスの元となった「JAZZ(ジャズ)」そしてそこから発展した「HIPHOP(ヒップホップ)」について「子どもでも分かりやすく」解説していきたいと思います!!

さて!ダンスを語る上で外せないのが、、、「音楽」ですよね!
だって音楽が無ければダンスは踊ることができない。ダンスは音楽があって初めて成り立つものなんですよね!だから先に音楽について、つまり「JAZZ」について学んでいきましょう!

時は遡り400年前、、、世界はどんな感じだったのでしょうか??

15,16世紀の大航海時代を経て、ヨーロッパ国々が積極的に「コロニー(植民地)」を広げていた時代!

17世紀の当時、アメリカには大きく分けてイギリス、フランス、スペイン
の3つの勢力がありました!
その中の一つ、イギリスの植民地はアメリカ東海岸沿いに領地を持っていて1607年にジェームズタウンを建設します。

現在のワシントンD.Cの南、バージニア州ですね!

当時のジェームズタウン。街というより要塞ですね。

イギリスはこうやってアメリカ東海岸の至る所にこんな街を作ったそうです。
ですが、もちろん街を作るのってそんな簡単ではないです。

例えば街を維持する為には「食べ物」を作らないといけない。そして外敵(インディアンや他のヨーロッパの国の人)から守る兵隊など、、、とにかく人手が欲しかったんですね!
そこでイギリスが目をつけたのがアフリカ黒人奴隷でした!

当時人手が欲しいヨーロッパの国々はアフリカの人々を捕まえて植民地に送る、いわゆる「奴隷貿易」が盛んな時代でした。

このジェームズタウンで1619年に20人の黒人奴隷が連れて来られました。現在アメリカに住んでいる黒人のご先祖的な人たちですね。
当然黒人奴隷は差別され、日常的に虐められていました。

黒人をモノのように競売にかけるヨーロッパ人

そんな黒人達は辛い状況でも希望を捨てないように、遠いアフリカの故郷を思いながら歌い始めました。
そんな音楽はいつしかアメリカの黒人奴隷の間で広まっていき「黒人霊歌(スピリチュアルソング)」が形作られました。

家も家財もなんなら楽器も持たない黒人奴隷たちは歌で毎日の辛い状況を乗り越えていたんですね。歌というより「魂」の叫びですね!

そんな虐められてきた黒人達に一つの転機が訪れます!
それがかの有名なアレです!

それでは次回もお楽しみに!!

 

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