ベトナムの歴史を小学生でも分かるようにブログで説明してみた④~1000年間の北属期がベトナムにもたらしたもの~

こんにちは!
ベトナム・ハノイに来て早3年弱!! 日本人、ベトナム人など多くの子供達の為のダンススクールA-LIFE Dance Schoolを運営する傍ら、ハノイでイベント主催したり、新規事業始めたり、たまにハノイの生活情報を呟いたりする、自称アニメオタク&歴史オタクのダンサーNEMOTOです!

最近暇だなーってことで始めた?小学生でも分かるベトナムの歴史!シリーズ。
前回の投稿はこちら!
Ep.1 ベトナムってどこやねん!
Ep.2 中国VSベトナムの原点
Ep.3 チュン姉妹の反乱

前回のあらすじ!
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漢帝国に支配されたベトナム。漢帝国の人々はベトナムの人たちをまるで人間として見ていない扱いをしていました。それに怒った民衆はチュン姉妹を中心にして反乱を起こす!が、所詮象とアリの戦争。簡単に蹴散らされてしまいました。しかし巨大な漢帝国に立ち向かった出来事はその後のベトナム人の心にしっかりと刻まれることになったのだ!
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さてさて今回で4回目!!
今日も張り切って解説していきますよー(*´꒳`*)

漢帝国のベトナム支配(前111年)から呉朝の成立(939年)までの約1000年間、ベトナムは中国の支配とそれに対する反乱を繰り返しました。

全て説明するのは面倒なので北属期の主な出来事を簡単にまとめました!

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・第一次北属期(前111年~39年)
前111年 前漢が南越国を征服。
40年 – 43年 チュン姉妹の反乱

・第二次北属期(43年~544年)
184年頃 士燮(ししょう)が後漢の役人として交阯(こうし)太守に任命される。
192年 日南郡でチャンパ王国が建国。

中部は完全に中国の勢力が撤退。この頃から北部は中国系、南部はチャンパー、南部はクメール系に別れた

210年 呉の孫権(そんけん)に降伏。

190年代からはかの有名な「三国志」の時代。漢帝国の権力はほぼ無くなって、戦国時代のように各地の有力者が「王」を名乗って争う時代でした。

248年 趙氏貞(チェウ・ティ・チン、趙嫗)の反乱
544年 李賁(りほん)が皇帝を宣言する。(前李朝の成立)

・第三次北属期(603年~938年)
603年 隋(ずい)が前李朝を滅亡させる。
604年 宋平(トンピン,現在のハノイ)に交州総督府が設置。
679年 唐(とう)によって安南都護府(あんなんとごふ)が設置。

唐の時代も漢帝国と並ぶ超巨大な帝国でした。

687年 李嗣先(リー・トゥ・ティエン)と丁建(ディン・キエン)の反乱
722年 梅叔鸞(マイ・トゥック・ロアン)の反乱
766年 馮(フゥン)兄弟の反乱
846年 南詔(なんしょう)が安南(北ベトナム)地域を征服。
866年 高駢(カオ・ビエン)が南詔から安南地域を奪い返す。その際にハノイの城壁を拡張。現在のハノイの旧市街地域が出来上がる。
906年 初めてベトナム人節度使(役人)に曲承裕(クック・トゥア・ズー)が任命。
ベトナム独自の政治のシステムや戸籍を作成した。
938年 呉建(ごけん)が白藤江の戦いで南漢の軍隊を撃退。
北属期の終了!!

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うおーーー長かった(;´д`)
ベトナムの歴史にとって全て重要な出来事ですが、全てを説明してたら一年以上かかるのでここは割愛!!
興味がある方は独自に調べてくださいな!

さてこの北属期がベトナムにもたらしたものは大きく2つがあります!!

①ベトナムと中国の明確な境界線が決まった。

②中国の文化がベトナムに入ってきたこと。

特に②はベトナムの将来に大きく関わることになります。
皮肉にも中国との争いや服属はベトナムを文化的、技術的に大きく発展させました。

紅河デルタは今のハノイ周辺からハイフォンあたりまでの流域。 この土地はお米を作るのに最適な土地でした!

中華の進んだ稲作、治水の技術は紅河デルタの農業生産をかなりアップさせたそうな!
稲作、治水技術の向上→農業生産性の向上→人口の増加→文化の発展
この流れは世界中どの地域にも当てはまるね(*´꒳`*)

現在でもハノイからハイフォンの道路を走っていると田んぼが多いのは昔からなんです。

加えて北属期の時代に道教儒教、そして仏教が入ってきました。
これらは現在のベトナム人の考え方に大きく影響しています。

一応ベトナムは仏教の国。中国を経由して入ってきたので大乗仏教、加えて浄土禅の思想が強いそうです。(日本も鎌倉時代に広まりました)

お葬式は道教の色合いが強いそうです。

個人的にはこの頃から小中華思想のようなものがベトナム人の間に意識されたのかなとも思っています。

小中華思想は朝鮮半島(今の韓国や北朝鮮)にもあった考えで、簡単に言えば「俺らは偉大な中華文化の一部を担っているんだぞ!!」みたいな優越感に浸るような思想ですww

「中華」の仲間といえば結構ギリギリのラインだけど、まあ一応同じ文化圏だよねーくらいの感覚

この感覚は現在でもカンボジアやラオスとの対立に度々現れます。

19世紀のグエン朝時代にラオスカンボジア地域で異文化であったシャム王国(現在のタイ王国)と争った時は「中華の正統な継承者であるベトナムが野蛮な異民族(上の図で言う「夷狄」)を討つ」みたいな意識がありました。

もっと分かりやすく言うとスクールカースト一位が中華。二位がベトナム、三位、四位はそれ以外の国、、みたいな。

このような考え方は地域や文化、規模が違っても存在するんだよなあ、、、

 

まあ兎にも角にも、ベトナムは1000年の北属期を経て中華の進んだ文化や技術を取り入れて発展することができたということです。(強引にまとめてすいませんww)

次回からは北属期から抜け出した後の歴史を3回に分けて解説したいと思います!
お楽しみに〜( ^ω^ )

 

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