こんにちは!
ベトナム・ハノイに来て早4年目!! 日本人、ベトナム人など多くの子供達の為のダンススクールA-LIFE Dance Schoolを運営する傍ら、ハノイでイベント主催したり、新規事業始めたり、たまにハノイの生活情報を呟いたりする、自称アニメオタク&歴史オタクのダンサーNEMOTOです!
この前、ふらっとホアンキエム湖を歩いていたら、こんな像が目に入りました。
これって「戦没者記念像」で第一次インドシナ戦争(1946-1954)の戦死者を記念する為の像だそうです。
この像の真ん中にいる男性が持っているものなんだか分かりますか??
これ、旧日本軍が使用していた「刺突爆雷」という特攻兵器なんです。
この刺突爆雷は戦車に近づいて破壊する「対戦車兵器」だったそうです。
構造は簡単で先端にある3本の突起を押し込むと爆発する。もちろん使用者も爆風に巻き込まれて木っ端微塵になるという恐怖の兵器なんです。
ではなんで遠いベトナムの地の像にこの刺突爆雷があるのでしょうか?
第二次世界大戦当時、ベトナムを支配していた大日本帝国。1945年の敗戦をきっかけにベトナムから撤退することになるのですが、その際に多くの日本製の武器をベトナムに置いていったと言います。
そんな時にフランスとの間でインドシナ戦争が発生します!
以前にインドシナ戦争について書いたブログがあるので気になる方は是非こちらもみてください(*´꒳`*)
世界を変えたベトナム戦争の衝撃!!第一次インドシナ戦争
そんな時に日本軍が残してくれた武器を手にとって戦いました!!
それに加えて旧日本軍の兵士が日本に帰らず、ベトナムと一緒に戦ったと言います。その数実に700~800人!!
有名なのがクアンガイ陸軍中学を設立した谷本さんと中原さんなどなど、、、
話は逸れましたが、そんな訳で日本軍の武器を取って闘うのですが、その中に刺突爆雷も含まれていました!
第二次世界大戦の終わりになると戦車はもう動く要塞。普通の大砲でも撃破されないくらいに硬いんです。
そんな硬いやつには接近して弱点部分(戦車の側面や後ろ部分)を爆破するしかない!ってことでこの刺突爆雷が使用されました!
インドシナ戦争中に刺突爆雷で戦車を破壊したかどうかは実際はわからないそうです。。が!アメリカ軍のレポートには「ベトミン軍兵士がフランス軍の戦車に刺突爆雷を使ったが不発に終わった。」だそうです。ww
インドシナ戦争開戦当初は旧日本軍の武器を使っていましたが、1950年に入るとソビエト連邦の支援が本格的になり、兵士が使う兵器の中に刺突爆雷はほぼなくなりました。
ちなみに余談ですが、ホアンキエム湖の戦没者記念像の右の男性兵士が持っている武器はたぶんフランス製の「MLE 1916 ベルチェー」だと思われます。たぶん戦争中に相手のフランス兵から盗んだものでしょうww(違っていたらごめんなさい!)
実際の戦闘でも「フランス軍部隊を撃破して2000丁の銃と弾薬を手に入れた!」って喜んだ報告書があるくらいですからww相手の兵器を盗むのは結構普通のことだったのかもしれませんね。
この戦没者記念像一つだけとっても、ベトナム人の戦争に対する当時の気概みたなのが感じられます。「使えるもんはなんでも使ったる!」みたいなww
以上!戦没者記念像で見る旧日本軍の珍兵器でした!
ベトナム各地にはこういった像が無数にあるので、もし興味がある方はこの像はどんな像なのかをじっくり見てみると面白いですよ!
大体、、、
刺突爆雷、旧式の歩兵銃など → インドシナ戦争orベトミン反日戦関連。
アサルトライフル、ミサイルなど → ベトナム戦争関連
こんな感じなのかな?と思います。
それでは次回もお楽しみに!!
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